チョン・ジェウン『子猫をお願い』★★★★★

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ユーロ・スペース2
2001年、韓国映画
チョン・ジェウン監督作品。
ぺ・ドゥナ、イ・ヨウォン、オク・ジヨン主演。

 

タイトルと映画の外観とは裏腹に骨太な映画です。
5人の仲よし高校生が、卒業して、
それぞれの道に歩み出して明らかになる溝=経済格差を、
埋めるのではなく、単に提示していく。

 

それは、貧乏であることですべての選択を閉ざされる
女の子=ジヨンの弱者ぶりや、
あるいはエリートコースをたどることで、
逆に自分の非エリート性が明らかになる女の子=へジュの苦悩に
焦点を当てるのでもない。
バッタものを売りながら、気ままに暮らす双子がいる一方で、
今の若者は大変なんだという一般論を語るのでもない。
自営業を営む両親の元で、
モラトリアムを延長する女の子=テヒの自己決定を中心に、
働くことと、生きることのズレに悩む女の子たちの
出自や生活の格差の広がりをとらえた青春群像劇である。

 

ちなみに、その広がりの中で彼女たち5人を繋ぎ止めたのは、携帯電話であり、
単に携帯する電話以上に、
メール・着信音も含めたコミュニケーション手段としての役割が
そこに映っていた。
つまり、僕らの生活に根差した携帯文化を初めて表象し得た作品といえる。



話を戻そう。
テヒは一人、階層を横断し、
障害者や外国人労働者というマイノリティと自在にコミットする。
しかし、それは彼らに対する彼女の鈍感さがなせるもので、
彼女の責任主体があるわけではない。
一見、誰にでも理解のありそうな彼女ではあるが、
実は、誰に対しても無責任な理解を示しているだけなのだ。
例えば、障害者の詩人の、彼女への思いに対する無理解や、
貧しいテキスタイル志望の女の子=ジヨンからもらう紙のテキスタイルを
すぐに四つ折りにしてしまうとか。

 

テヒは、誰よりも、出自を失った存在である。
ジヨンのように貧乏でも、双子のように裕福でもない。
かといって家族の中に居場所を見つけることもできない。
ヘジュのように、働くことにも、意義を見出せない。

 

つまり、信じるものやアイデンティティがないのだ。
だからこそテヒはいろいろな人と等距離でコミットできる。

 

鑑別所でジヨンから、ここを出ても居場所がないと聞いた時、
テヒは‘等距離であること’を破棄することを決意する。
ジヨンと国を出ていこうと決意するのだ。
でもそれは、ジヨンに対する同情からではない。
孤独とは微妙に違う、自分の居場所のなさと、
ジヨンの物理的な居場所のなさを重ねたからだ。

 

最後に広がるgood byeの二文字は、
二人のアカルイミライへのはなむけの言葉なのかもしれない。