ナンニ・モレッティ『3つの鍵』

同じ高級アパート(マンション?)に住む3組の家族の話。
最後はフワッと救済される風なのは、原作にないモレッティの願いを込めた創作らしいけど、
少なくとも最後のシーンだけなかったら、もっと最高だったなあと。

解決出来ないことを受け入れるしかない人生讃歌の作品として。

本作は2回ほど字幕で時間が飛ばされて、10年間の人々の営みが描かれている。
その中で主要3組以外の脇役家族は救われていないし、
一組は血の呪いを引き継ぐし、
様々な別れによって3組の家族が舞台のマンションから離散することで終わりを迎える。
解決するから終わるのではない。

テーマとしては貫徹できてないけど、
「変わらないこと」「解決出来ないこと」「分からないこと」がそのまま投げ出されている部分に共鳴できた。
川村元気の『百花』にも通じる残酷さ!
どちらも最後の甘い落とし所にガッカリなのも似てる。
でも確実に今の現実を掴んだ作品だと思う。

3組の家族はみなブルジョワ
新生児から10歳くらいの歳の差で配置される三世代の子供たち。
共通のアパートが中間共同体として機能しているようで、
砂上の城のように危うい関係の隣人同士。

かと言って、日常が終われるほどに危うさは危うくならない。
それぞれが小さな物語に閉じ込められ、抜け出せないでいる。
だから、ラストでそこからの解放が描かれる描写は救いや希望でもあるけど、
物語と物語はバラバラなままな、人生の厳しさを提示している。
先にも述べた脇役の家族は家族の死で物語が閉ざされたままなのは言うまでもない。

冒頭の自動車事故を起こす息子の父親に対する態度のクズ振りは、どんな過去があろうと肯定できない。
どこにも昇華されない息子の非道振りと、
そのことの懺悔や許しがない上で、
新たな人生を歩んでいる息子の姿そのものこそ「救い」であり「希望」なのだと思う。

呪縛からの解放ではなくて、呪縛の無視というか。

しかも一つの家族には、この呪縛を無視できない、おそらく統合失調症のような人間もいるという、人間の多様さ、複雑さ、困難さを引き受けさせていることも無視できない。

祝祭的な音楽で踊る高齢の男女の優雅な行進のあとに、「血の呪縛」と「母と息子の再会」で映画を終わらせる所は、
モレッティなりの慎み深さと優しさでもあるのだろうなあ。

僕は、ラストの「母と息子の再会」がない方が好きだけど。